こんにちは! 立川眞理子(*)です。
前回は塩素(次亜塩素酸)の酸化力について話しました。今回は水の消毒についてです。
現在(2020年6月現在)、新型コロナウイルスの蔓延により、世界中が恐れのなかで生活をしています。現代人にとっては初めての経験ですが、人類には多くの疫病に悩まされて来た歴史があり、その記録が残されています。
(*)環境衛生コンサルタント。元日本大学教授。
〈前回の記事はこちら〉
塩素の殺菌作用は? 次亜塩素酸ナトリウムって? 塩素を知ろう【塩素マニア・立川眞理子の連載 #1】
目次
コレラと塩素消毒
なかでも水の汚染が深くかかわっていた疫病がコレラです。
インドの風土病的伝染病であったコレラは盛んになった国際交流に乗じて何度かの流行を繰り返し、ヨーロッパに、そして日本にも及びました(1822年、文政5年)i)。
人々に重篤な下痢を起こし、死に至らせるこの疫病が、汚染された水を介して病気が伝播することが分かったのは19世紀半ばであり、細菌によって起こることが明らかになったのは19世紀末でした。
そのころ欧米において、水をろ過(濾過)して使用するとコレラのような水系感染症の発生率が減少することが明らかになり、ろ過による浄水処理が普及し始めました。
20世紀になると、ろ過だけでなく塩素注入による消毒が合わせて行われるようになりました。
日本で近代水道が敷設されたのは1887年(明治20年)であり、塩素消毒が初めて行われたのは1922年(大正11年)でしたii)。第二次世界大戦後に進駐軍により水道の常時塩素消毒が実施されました。
そしてその水道の普及に伴って、それまでの水系感染症(コレラ、赤痢、腸チフス、パラチフスなど)が大きく減少した歴史を日本は持っていますiii)。現在のわが国の水道普及率は98%に届いています。
現在の塩素消毒
2013年の一人一日あたりの水使用量は平均290Lと報告されておりiv)、一人が2リットルのペットボトル145本(!)を毎日消費していることになります。水道水が大変安いことに気づきます。
同年の日本における生活用水使用量は148億m3でありiv)、そして使用された水が下水となります。
この大量の水(上水と下水)は衛生や環境保全のため消毒(殺菌)を必要としますが、その消毒には「残留性がないこと(そのものは無害な無機物となって消失する)」、「連続的な処理が可能であること」が要求されます。
現在では水の消毒には塩素、オゾン、紫外線、膜ろ過などが用いられています。
なかでも塩素消毒は先に述べたような歴史を持ち、取り扱いが簡便で、安価であり、かつ適度な残留性を持つことから、消毒副生成物の問題を抱えながらも広く使用されています。
塩素消毒は水道水だけでなく下水や排水の処理、そしてプール水などでも用いられていますが、それぞれ対象とする水の水質や目的が異なります。
まずここでは水道での塩素処理を通して塩素作用の特徴を述べたいと思います。本文では、断りがない場合は塩素とは遊離塩素(次亜塩素酸や次亜塩素酸イオン)を指します。
塩素は浄水過程のどこで使われている?
水道原水はダム水、河川水、地下水などでありiv)、それぞれ地質などの環境に由来する物質が含まれています。多くの浄水場では図1に示すように、凝集沈殿と急速ろ過、そして塩素処理(酸化分解と消毒)により浄水が作られていますiv)。
前塩素と後塩素
塩素は二か所で使われています。前塩素は塩素の酸化力を利用して原水中の藻類、そして溶存する鉄やマンガンをろ過の前に沈殿させて除くのが目的です。
塩素は溶存する水中の有機物にも働き、これを酸化分解します。
ろ過による浄水処理で大部分の細菌や濁りは除去されますが、完全ではありません。そこで塩素(後塩素)を加えて消毒を行います。
この時、少量の遊離有効塩素が残留するようにすることで、配水過程での病原微生物汚染の防止に役立ちます(※)。
- 日本では「水道法」により、給水栓口での塩素が遊離残留塩素として0.1 mg/L以上、病原微生物汚染時には0.2 mg/L以上残っていることが定められています。遊離残留塩素とは前回に述べた、次亜塩素酸(HClO)や次亜塩素酸イオン(ClO-)のことです。
結合塩素の生成
塩素は水中に溶存するアンモニア(NH3)やアミノ酸などをはじめとする窒素化合物に作用し、結合塩素を生じます。結合塩素とは「窒素に結合している塩素」との意味で、次亜塩素酸の遊離塩素に対応する呼称です。
結合塩素も酸化力を持ち殺菌作用がありますが、一般に作用は弱く、その生成は遊離塩素の殺菌力を低下させます。
塩素(クロル)が付いたアミンとの意味で結合塩素をクロラミンとも呼ぶこともあります。アンモニア(NH3)からの結合塩素の生成を式(1)と(2)に示します。
塩素が一つ入っているモノクロラミン(NH2Cl)(1)、二つ入ったジクロラミン(NHCl2)(2)、ここでは示していませんが三つ入ったトリクロラミン(NCl3)も生成します。
- NH3 + HClO → NH2Cl + H2O
- NH3 + 2HClO → NHCl2 + 2H2O
結合塩素の生成は塩素と窒素化合物との濃度比によって異なり、それぞれの結合塩素の安定性なども異なります。
遊離塩素にはほとんど臭いはありませんので、結合塩素がいわゆる消毒臭(カルキ臭)の原因の一つと考えられています。
不連続点反応:不思議な曲線
では消毒の対象となる水に塩素を加えて、しばし放置した後、水中の塩素を測ったらどうなるでしょうか?
図2に特徴的なパターンを示します。
I(赤線)は塩素消費の全くない水です。加えた塩素がそのまま残留しています。
II(オレンジ色)は単純に塩素を消費する物質(有機物質や二価鉄などの還元性物質)を含む水です。加えた塩素はそれらの物質と直ちに反応して消失しますが、その後は添加量につれて遊離塩素が増加しています。
III(青色)は窒素系物質を含む水の様子を示したものです。注入量に応じて増加した残留塩素は一定量を超えると低下し、そして再度増加します。この曲線を不連続曲線と呼び、途中の極小値(図中の↓)を不連続点と呼びます。
多くの水はIIとIIIが合わさったパターンを示します。
不連続点の意味するもの
残留塩素曲線IIIの山の部分(青く塗られたところ)の有効塩素はほとんどが結合塩素です。アンモニアを含む水では最初に比較的安定なモノクロラミン(NH2Cl)が生成しますが、アンモニアに対して塩素の量が多くなると不安定なジクロラミン(NHCl2)が生成し分解が生じます。
不連続点ではアンモニアはほぼ分解し、不連続点を越えると遊離塩素が増加し、ここで塩素消費が一段落したことを教えてくれます。
したがってこの不連続点は、塩素注入量を決めるための重要な目安となります。
不連続点での塩素によるアンモニアの分解を式(3)に示します。
- 2NH3 + 3HClO → N2 + 3HCl + 3H2O
種々の用水においてこの不連続点反応を利用してのアンモニアの分解除去が行われており、不連続点処理と呼ばれています。
浄水場では給水栓口での遊離残留塩素濃度を確保するために、図2のような塩素注入量に対する残留塩素量を求めて、遊離塩素が残留するのに必要な塩素注入量(塩素要求量)を決めています。
II、IIIの水における塩素要求量は、それぞれ図2の点線の矢印(破線の←→部)に相当します。
塩素の殺菌力の実際
水道法での残留塩素の規定(遊離残留塩素として0.1mg/L以上)を満たす水は、経験的にコレラ、赤痢、チフス、ポリオ、そしてA型肝炎などの細菌およびウイルス感染症を防止できることが明らかになっています。
しかし、塩素耐性の高いクリプトスポリジウムなど原虫のシストやオーシストの混入には対応できませんv)。(後述)
結合残留塩素による消毒の場合の場合には0.4mg/L以上と定められています。給水栓水中に残留していた塩素(0.1mg/L~1mg/L)は、調理することや唾液と混ざることで消失します。
水を介した健康被害例のうち多くが塩素消毒の不足や設備の故障によるとの報告がありv)、残留塩素の確保はとても重要です。
塩素消毒の問題点
消毒副生成物
図1で示した前塩素は溶存する有機物にも働き、その酸化分解の過程で種々の副生成物が生じます。
環境劣化により原水の水質が低下してくると加える塩素量は増加し、副生成物も増加します。その生成は多様でかつ不安定で微量であり、十分な把握はまだできていません。
これまでに明らかになったものには、クロロホルム(CHCl3)をはじめとするトリハロメタン類があります。発がん性を示すものもあり大きな問題となりました。
図3に示すように、メタンの4つの水素のうち3つが塩素もしくは臭素のハロゲン元素に置き換わったものです。原水中に含まれる有機物質から生成します。
自然水中に含まれる腐植質由来の高分子化合物であるフミン酸やフルボ酸がトリハロメタン前駆物質として知られています。塩素による酸化や塩素化だけでなく、引き続く加水分解などがその生成に関与しています。
臭化物イオン(Br-)を含む水では、臭素を含むトリハロメタン類の生成が増加します。
トリハロメタン類のほかにもホルムアルデヒド、クロロ酢酸類などが塩素処理により生成します。これらに対し水道基準値vi)が設けられ、水質が保持されています。
実際の現場では、トリハロメタン類の生成量を抑えるために、前塩素処理に代わり、先に原水の凝集沈殿を行ってから塩素を加える「中塩素処理」、もしくは塩素の代わりにオゾン(O3)を使用する方法がとられています。
また、海外では後塩素処理(消毒)にモノクロラミンを用いているところもあります。
塩素耐性病原微生物
クリプトスポリジウム Cryptosporidium parvum やジアルジア Giardia lamblia は人畜共通の感染症をおこす原虫で、水源の動物汚染により水道原水に混入すると考えられます。
感染者の糞便中にオーシストもしくはシストと呼ばれる卵状の殻に覆われた状態で排泄され、水中に長く生存し、飲水から下痢、発熱や吐き気などをひきおこすことが知られています。
近年日本でも水道のクリプトスポリジウム汚染による集団発生が報告されていますv)。
オーシストやシストは塩素に対する抵抗性が大腸菌の数万倍高く、通常の塩素処理では殺菌されません。
細菌に比べて大きいためその除去にはろ過が、殺菌には二酸化塩素、オゾン、そして紫外線が有効です。
カビ臭物質
富栄養化が進んだダム湖水などからの原水中には藻類由来の2-メチルイソボルネオールや、ジェオスミンと呼ばれるカビ臭物質が存在することがあり、これらは塩素処理では分解できません。
オゾン処理による分解や活性炭による除去が行われています。
むすびに
ここまで塩素を用いた水道での浄水処理について述べてきました。結合塩素生成と不連続点形成など、塩素の持つ性質が巧みに利用されていることが分かっていただけたでしょうか。
原水の水質低下が進む現在では、塩素だけでなくオゾンや紫外線、膜ろ過などが水処理に加わっています。そして日本では先に述べた水道法の規定に基づいて、浄水の最終段階で必ず遊離塩素が残るよう塩素消毒が行われています。
水の安全には水環境の保全が最重要課題です。
ウイルスとパンデミックについて紹介したい本
今回も紹介したい本があります。
一冊目は『ウイルス・プラネット』カール・ジンマー〔著〕、今西康子〔訳〕、飛鳥新社(2013年)です(写真)。
私たちはウイルスといえば病気を引き起こす存在として考えることが多いと思いますが、実際はそれだけではなく、いかに身近にウイルスが存在するかを優しく(易しく)教えてくれる本です。
二冊目は『病気の社会史——文明に探る病因』立川昭二〔著〕、岩波現代文庫、岩波書店(2007年)です。
各時代に大きく影響を及ぼした病気がいかにその社会の影響を受けて広がり、かつ人々の生活にいかなる影響を及ぼしたのか。過去のパンデミックを知ろうと思って数年前に読んだのですが、今回はパンデミックのさなかで読む不思議が重なる読書になりました。
新型コロナウイルスの蔓延よる現代社会への影響は、万人の予想を超えるものになるのではないでしょうか。
📚 参考文献
- 立川昭二. 病気の社会史——文明に探る病因. 岩波現代文庫. 東京, 岩波書店, (2007).
- 上村仁. 塩素消毒の歴史. 衛研ニュース. 神奈川, 神奈川県衛生試験所, (2013-07), 157. http://www.eiken.pref.kanagawa.jp/005_databox/0504_jouhou/0601_eiken_news/files/eiken_news157.htm
- 金子光美. 水の安全性と病原微生物——その歴史と現状、そして未来. 水中の健康関連微生物シリーズ, 1. モダンメディア. 東京, 栄研化学, (2006), 52 (3), pp. 20-27. https://www.eiken.co.jp/uploads/modern_media/literature/MM0603-04.pdf
- 国土交通省 水管理・国土保全局 水資源部. 平成28年版 日本の水資源の現況, 第2章 水資源の利用状況. 東京, 国土交通省, (2016). https://www.mlit.go.jp/common/001177457.pdf
- 山田敏郎, 秋葉道宏. 最近10年間の水を介した健康被害事例. 保健医療科学 Journal of the National Institute of Public Health. 埼玉, 国立保健医療科学院, (2007), 56 (1), pp. 16-23. https://www.niph.go.jp/journal/data/56-1/200756010004.pdf
- 厚生労働省. 水質基準項目と基準値 (51項目). (2020-04-01). https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/topics/bukyoku/kenkou/suido/kijun/kijunchi.html
〈立川先生の連載記事一覧〉
クロラミンについて知ろう【塩素マニア・立川眞理子の連載 #5】 水中の有効塩素濃度(残留塩素)の測定について知ろう【塩素マニア・立川眞理子の連載 #4】 塩素剤で確実な殺菌作用を得るためには? 水のpHと塩素の関係を知ろう【塩素マニア・立川眞理子の連載 #3】 塩素の殺菌作用は? 次亜塩素酸ナトリウムって? 塩素を知ろう【塩素マニア・立川眞理子の連載 #1】
(2022年5月9日:連載記事 第5回へのリンクを追加しました。)
(2021年5月18日:連載記事 第4回へのリンクを追加しました。)
(2020年10月1日:塩素上級者向けマークを記事に付与しました。)
(2020年8月18日:連載記事 第3回へのリンクを追加しました。)
(2020年8月12日:絵文字が文字化けしていたため、修正しました。)
(2020年7月9日:前回の記事へのリンクを追加しました。)