皆様お元気ですか、エコデザインの長倉正弥です。
今回は、摂南大学の名誉教授である中室克彦先生のインタビューをお届けします!
(インタビュー日:2020年2月11日)
目次
中室克彦先生のご紹介
中室先生は、国立衛生試験所、摂南大学で環境衛生学、環境毒性学を研究されてきた方です。2020年現在では摂南大学を退職されており、肩書は名誉教授となっています。
現在は、適切なオゾン利用の普及に努めるための研究・研修組織である「日本医療・環境オゾン学会」の事務局長を務めていらっしゃいます。
中室先生には日ごろから同学会の「環境応用部会/オゾン水研究会」など多くの場面でお世話になっており、今回インタビューをお願いいたしました。それでは、インタビューをご覧ください!
心のふるさとは奈良
長倉正弥
父親の話になりますが、私の中学校3年の昭和34年9月に伊勢湾台風が伊勢湾沿岸地域に大きな惨禍を招き、行方不明者を含む犠牲者5,000人余を出しました。その時、近鉄名古屋線がズタズタに寸断されたわけです。父は、その当時狭軌であった名古屋線を、この大災害からの復旧とあわせて軌間拡幅工事を同時に行いました。
それを指揮していた父親は1か月以上家に帰ってこない形で、軌間拡幅工事を完了させました。長かった名古屋勤務は次の年の春には、大阪勤務となり、難工事の成果が認められ近鉄観光の社長や、奈良交通などの社長などを歴任して72歳で退職しました。この当時の近鉄では、技術畑の人間が社長職を務めること自体が珍しかったようです。
話は戻りますが、両親共に奈良だから、どっちかというと家族の中では関西弁で話していたため、奈良に関しては生まれて育ったわけではないけれど、親しみがあります。親戚も殆どが奈良に在住しており、新年はほとんど奈良で過ごすことが多かったため、心のふるさとは奈良だと思っています。また、十何年来、趣味で毎年賀状には奈良の仏像とか、神社・仏閣、景色などの版画を彫っています。心のふるさとである奈良に限定しています。
長倉正弥
薬学部を出たけど環境衛生学・環境毒性学の道へ
長倉正弥
これからの話は後に全て影響するんですが、薬学部を出て薬の研究はしてません。知識としては使っています。しかし、大学で所属した研究室は環境衛生学研究室です。これを皮切りに最初から最後まで環境衛生に関わっています。多分薬学部では、このような人間はほかにいないと思います。
環境衛生学の恩師が小瀬(洋喜)先生です。そこで博士課程まで行くつもりだったのですが、当時東京世田谷の用賀(ようが)にあった国立衛生試験所の佐谷戸(安好)先生からお誘いがあったのです。
その佐谷戸先生が、そこの環境衛生化学部の水業務の室長だったのですが、小瀬先生と佐谷戸先生は、学問上での付き合いがあり、各種委員会でしょっちゅう会っている仲だったので、誰かいないかという話になり、私の名前が挙がったようです。
NIHSの佐谷戸先生から“一本釣り”され、社会人ドクターに
50年以上前の当時では、私はマスター(修士課程修了者)だったのですが、結果として一本釣りされた形になりました。さらにドクター(博士課程)に進むことを決めていたため、ドクターを取らせてくれるなら行きますと答えたそうです。そういうやつのほうが良いと言って取ってもらったんです。
そのような経緯で、結果的には、ドクターのテーマ「環境毒性学的研究」を働きながら研究し、7年目にやっと自分の母校でドクターを取ることができました。持ち込み論文の形で、甲ではなくて乙(※1)のほうです。
(※1)甲は、大学院の博士課程を修了したことで取得される博士の種別。乙は、論文で取得する博士の種別。
長倉正弥
長倉正弥
通常、社会人でドクターを取ろうとすると、ドクターを取るためだけの研究テーマであるため、その研究は職場には反映されない。だから、お前は自分勝手なことやってると、社会的には言われるわけです。私の場合は、そうではなくて、恩師である上司が、仕事をしている職場の職務の中からテーマを選ぼうとしてくれたから、このような結果につながったわけです。
長倉正弥
人がやらないことをすることが大切
長倉正弥
最初からニッチのつもりで生きてはいないと思います。理想は高くということ、私の大学の恩師である小瀬先生がよく言った言葉があります。「希望は高く専門は深く」の言葉がニッチに繋がったようです。
それで、国立衛生試験所の上司であった佐谷戸先生は研究のテーマを決め、指導してくださいました。論文の書き方から、研究計画のノウハウまで教わりました。周りの先生も良い先生が多かったです。
水道の安全・安心のための研究
それらの研究は水道の安全性確保に必要な研究テーマを行いました。当然これらの研究班には私の研究室スタッフはもちろん、薬系大学の先生含めて委員会あるいは研究班を組織した形で研究が行われていました。
長倉正弥
数奇な巡り合わせでアメリカ留学がパーに
長倉正弥
行ってこいはいいんですが、この頃私は、ドクターを取ったあとぐらいで、私は自分で探したアメリカのイリノイ大学にポスドク(博士研究員)で年間契約2,000ドルの契約で留学を決めていたのです。しかし、それが国(当時の厚生省)の命令でタイに行かざるを得なくなり、アメリカ留学はパーになりました。
長倉正弥
摂南大学に薬学部が認可された!
長倉正弥
長倉正弥
長倉正弥
だからずーっと環境衛生学の専門分野で生きてきました。一貫して環境衛生学であるので私自身驚いています。しかし、時代の流れには勝てず、薬学を終える約5年前に公衆衛生学研究室という名前に改名しました。
環境衛生学からオゾンの世界へ
きっかけは水道浄水プロセスへのオゾン処理の導入
長倉正弥
長倉正弥
長倉正弥
富栄養化が社会問題化しワーワー言われて、アオコに由来する異臭味が発生し、水道水の異臭味問題が全国で取りざたされました。この異臭味の対策のため、オゾン処理が導入されました。その当時はじめてオゾンと接点を持ちました。だから今の日本医療・環境オゾン学会とはちょっと異なり、元々は水道分野との関わりが強いです。
この当時、水道のオゾン処理に関連する関連企業が中心となって立ち上げた日本オゾン協会がその流れを踏襲しています(※2)。そのため、オゾン療法が存在することすら知りませんでした。
(※2)編注:(特非)日本オゾン協会は、日本医療・環境オゾン学会とは別組織で、いずれもオゾンの業界団体です。
オゾン療法との出会い
すなわち、大阪に、近畿大学医学部出身の会員医師の松波先生がいて、その人が中心になって、北海道の神力(就子)先生とレナーテ博士の3人で、大阪のホテルでオゾン療法の講演会を開催しました。
その講演会の後、松波先生のクリニックで、オゾン療法の実技講習会を開きました。その時私は、有料の講演会には出席せず、実技講習会に無料で参加し、初めて実技経験したのがオゾン療法との接点です。
オゾン療法は、オゾンがまず前提にあります。オゾンが間接的に人体に対していろんな作用があって、その中でもドイツにおいて主として用いられているのが自家血液療法で、大量自家血液オゾン療法と言っています。静脈血を100 mL程度採血し、そこにオゾンガスを加えると、オゾンは反応して瞬時に消失します。この時、オゾンと血液が反応して微量の反応生成物が生成されています。この反応生成物を含む静脈血を、採血した同じ静脈に戻します。それが平たく言うと免疫機能を改善するような作用を結果として示すことが研究されています。キューバとかドイツなどの国でかなり普及しているそうです。日本も戦前に、すでにやられていたことが知られています。
長倉正弥
詳しくは声明「いわゆる『血液クレンジング騒動』に対する当学会の考えを表明」(2020年1月24日)ならびに学会会則の「オゾン療法を実施するに当たっての細則」(2020年4月19日施行)をご参照ください。
日本医療・環境オゾン学会へのお問い合わせ先はこちらです。
日本医療・環境オゾン学会
http://www.js-mhu-ozone.com/
長倉正弥
JNK 岡本
オゾンが肺への悪影響(吸入毒性)が強いのはなぜか
長倉正弥
一番大事なところは、オゾンは化学物質です。全てそうですが、化学物質の量が問題です。過ぎると毒性が現れ、超微量であれば有効作用があるという物質が多いです。
オゾンも量が増えると毒性が発現します。特に、ガスの場合は、肺への影響が強いということはすでに分かっています。それは、酸化力があるだけではなくて、肺の細胞にはオゾンを壊すカタラーゼなどの抗酸化酵素が少ないことが分かっているからです。だから肺の細胞はオゾンに対して感受性が高いわけです。
そのためオゾンの毒性は特に吸入毒性に注意を払う必要があります。
オゾンも化学物質ですから量が多くなると吸入毒性が問題になりますが、毒性を発現しない超微量においては(後述のように)治療効果を発揮すると学会では考えているのです。
オゾン療法の作用機序として現在考えられていること
静脈血にオゾンを混ぜると血液中の抗酸化成分(還元性物質)であるグルタチオン、システイン、アスコルビン酸などと反応し、オゾンは瞬時に消失します。
だから、オゾン療法で治療効果を発揮するのはオゾンではなくオゾン反応生成物であるセカンドメッセンジャーというものです。
このセカンドメッセンジャーが全身の細胞に行き渡り、有効な生理作用を示します。最初に分かった有効作用は、免疫系のサイトカイン類が生成されていることでした。それ以外にも抗酸化酵素系であるカタラーゼ、SOD(スーパーオキシドジスムターゼ)やグルタチオンペルオキシダーゼなどが産生するということです。
これらの研究は試験管内(in vitro)で行われたものです。ところが、最近の研究において、大量自家血液オゾン療法において、in vitroで産生するこれらサイトカインや抗酸化酵素の量が、体内に戻すと1/46に希釈されるのですが(※3)、1日後には元のレベルに戻っていたとの報告があります。これは三浦(敏明)先生の『オゾン療法の作用機序』(※4)の総説に詳細に示されています。
(※3)オゾンと反応させた血液100 mLが体内の血液4.6 Lで希釈されたことになるので、1/46希釈。
(※4)三浦敏明. オゾン療法の作用機序. 特集 オゾンに関する最新技術, 静電気学会誌. 一般社団法人静電気学会, (2019), 43 (4), pp. 146-151. http://www.iesj.org/publications/1/#_43
長倉正弥
長倉正弥
長倉正弥
他の投与方法もメカニズムは同じ
日本は、戦前はオゾン療法を皮下注射法で行っていました。この当時、相前後してヨーロッパにおいて大量自家血液オゾン療法が始められました。
日本も今は大量自家血液オゾン療法がメインです。だから皮下注射法がダメではなくて、皮下注射法は特に局所的な疾病に有効です。もちろん、皮下注射法でも大量自家血液オゾン療法と同様の効果が結構得られます。あと幼児、子供や高齢者に対しては注腸法もあります。注腸法は、おしりからガスを浣腸みたいに入れる方法です。
こういった種々の事項について、学会では研究をしています。
酸化ストレスと防御系:病気を治すには防御系を高めること
「オゾンは活性酸素の一種なんですね。活性酸素は有害なもので、人体に発がんだとか老化を導くものだといわれてるんですが、それにもかかわらず、人体にオゾンを入れると、なぜ免疫力が高まるような作用があるのかと。
それは、結局人体の中で活性酸素種というのが実は毎日ものすごい量できてるんですね。それを人間が抗酸化作用というもので打ち消しているわけです。その活性酸素の量は実は、大量自家血液オゾン療法で入れる量よりも桁違いに多いんです。だから体内でできる活性酸素の量に比べると本当にわずかな量のオゾンを入れることになります。
そのごく微量のオゾンがなぜその抗酸化作用をもたらすかというと、酸化というのは人体、動物にとって大敵なんです。それが一時的にでも酸化された血が入ってくることによって、体がそれに対する抵抗を示そうとするんです。そのためむしろ抗酸化作用が高まるんです。抵抗しようとして…」
…こういう表現で合ってるでしょうか?
長倉正弥
人の万病のもとは酸化ストレスだといわれています。現在の科学では、オゾン療法をやらなくてももともと人間というのは治す力、健康を保つ力というものを持ってるわけです。
酸化ストレスと健康とのバランスの関係は、活性酸素がたくさんできていてもたくさん壊していれば平衡状態を保つことができ、健康状態を維持することができるわけです。生成した活性酸素を壊す力が勝っている場合は健康であって、壊す力が弱くなり破綻をきたした状態が病気を発症することになります。
病気になった時は酸化ストレスが過剰になるわけですから、この酸化ストレスを減少させれば病気を治すことになると考えます。酸化ストレスの量とこれを減少させる防御系を高め、バランスを良くする。すなわち、防御系を高めることによって平衡にすることができれば病気が治るわけです。だから、酸化ストレスと防御系がバランスよく平衡状態を維持している状態が健康な状態なんです。
長倉正弥
長倉正弥
日本医療・環境オゾン学会の発展のために
長倉正弥
私は、オゾン協会の理事もやってるし、こっち(日本医療・環境オゾン学会)も発足時の発起人ではないけれども、2、3年してから入会しました。神力就子氏も当時、日本オゾン協会の理事で一緒に学術部会の活動をやっていたから知っているんです。国際オゾン協会のメディカルセッションを一緒にやったこともあるし。
補完の意味でお話ししますと、日本オゾン協会は理工系の会長だったから、メディカルは、やらないと宣言してしまいました。だから日本医療・環境オゾン学会の前身である日本医療オゾン研究会が生まれたわけです。神力氏が中心となり、発起人を募ってオゾン療法を中心としたグループを立ち上げましょうということで、スタートしたんです。
しかし、しばらくして本研究会は、環境系企業の力を借りないと会の運営がうまくいかなくなり、環境の名前を入れ日本医療・環境オゾン研究会に改名されたわけです(※5)。
(※5)後に更に改称し、現在は「日本医療・環境オゾン学会」となっている。
長倉正弥
オゾン業界における日本医療・環境オゾン学会の意義
私は会員企業が土台になっていると思います。オゾン発生器がないとなんにも仕事ができないでしょう。オゾン発生器の利用・普及も大事なんですよ。その上に立って、適用・応用のほうで頑張りましょう。そのため、各専門分野から成り立っている各部会同士がよくコミュニケーションを取って、“One Team”となって協力していかないと発展しないと思います。
もともと私も日本オゾン協会しか知らなかったし、そちらへ先に入会させてもらいました。日本オゾン協会は水道の関係から、水処理関連を中心とした協会なんですね。
長倉正弥
JNK 岡本
ちょうど入会した時、中室先生が会長だったんですよね。
長倉正弥
ところで、日本医療・環境オゾン学会のホームページを見れば、オゾンに関する環境分野はもちろん医療分野の情報に到るまで、オゾンの歴史から、リーフレットに到るまで掲載し、オープンにしています。事務局にもよく質問が来ますが、ホームページを見ればほとんど解決すると思うのですが、学会ホームページを見ていないということが分かる質問にはがっかりさせられます。
先日もお客さんからノロウイルスの不活化効果について聞かれたので、確か中室先生が研究していたなと思ってお聞きしたら、そのものずばりの論文を頂きました。大変お世話になりました。
長倉正弥
日本医療・環境オゾン学会の将来
このような発想があってもいいと思っています。学会本部はどこにあってもいいと思っています。オゾンの普及を主体に考えていただければ最高です。
事業は事業でやっていただき、学会活動は別枠で考え干渉し合わない間柄であれば良いと思います。その企業のエゴが出ないことがもちろん前提です。それさえわきまえていただければ、学会事務局は何所に置いても良いと思います。
長倉正弥
その中でできる限り世の中のお役に立てる会社になっていきたいなと思いますので、企業としてそれこそ公共的な組織とどういうバランスを持って携わるかというのは微妙な問題だと思うのですが、いい形で当社もオゾンの普及のために努めていきたいなと思っておりますので、いい形でお付き合いできればと思います。
長倉正弥
長倉正弥
これからのオゾン活用の普及に関する思い
長倉正弥
オゾンの利活用の普及には時間がかかると思います。地道にやるしかない。よくブレイクという言葉が使われますが、ブレイクすることは悪くはないけれど、ブレイクした後は必ず落ちるということなんです。上がって落ちるそういう現象がブレイク現象だと思います。それでは意味がない訳です。
オゾンがこれからすぐに日の目を見ることはない
だから私の生きている間は、オゾンは日の目を見ないだろうと思っています。日常生活をしている身の回りにオゾン製品が当たり前のように使われる世界はこないということです。けれども、一歩一歩普及に努力し続けることが一番大事です。
オゾン活用の普及のために必要なこと
この世界は塩素至上主義なわけです。ある意味。法律で塩素の基準が決められていて何十年間と変えようともしません。オゾンには良いところがあるのでもっともっと導入に向けてトライしてくれてもいいと思いますが、行政がトライをしようとしないのが現状です。行政は、2、3年に一度ポジションが変わる理由の一つに、悪いことしないようにというのがベースにあります。そのため、反対に、改革などいいこともできないわけです。2、3年で政策を改革実行できないでしょう。このような行政システムが日本をダメにしてるんじゃないかと思っています。
長倉正弥
長倉正弥
オゾンもこのような職人技みたいなものがあってもいいし、それを引き継ぐ必要があるだろうし、会社はそれをやらないと伸びないと思います。オゾン発生器の応用の世界は、サイエンティフィックな面から十分時間をかけてじっくりやれば、多方面への応用・開発の成果があがってくると思います。何十年先には前よりも2倍、3倍のシェアが広がるでしょう。努力は惜しまずにやる必要があります。
学会は、オゾンの利活用の普及を図るための会員に対する援助と、ユーザーに対してオゾンを正しく理解してもらうための情宣活動も重要だと考えています。
長倉正弥
情報発信の重要性
通巻100号記念号では、今まで出版したオゾンに関する学術的な総説、研究報告、解説、文献抄録などをピックアップしたタイトルコンテントの形で掲載しています。それを見ていただくだけでも、必要なものがすぐわかります。ご利用ください。
長倉正弥
会社の宣伝ありきではなく、オゾンそのものを知ってもらうための活動を
長倉正弥
だから、企業もそういう姿勢でやらないと…、会社ではなくオゾンが前面に出ないと困るんですよ。オゾンが主役ですよ。だからまだまだ知らないことがいっぱいあるはずです。これからもこのような気持ちでいることが重要なことです。自分を殺してオゾンを前面に出すことです。
長倉正弥
でも、こういうのは生き方そのものだと思います。教育は、どこにいても大事です。
教育の話から飛躍しますが、学会の事務局を継いでくれる人を探しているんですよ。私ももうあとちょっとで終わりですよ。80歳までは頑張るつもりですが、80歳代になったら無理ですよ。80歳以上になると急に亡くなる人が多くなります。
長倉正弥
JNK 岡本
長倉正弥
JNK 岡本
じゃあすいません、こんなところで。今日はどうもありがとうございました。
長倉正弥
インタビュアーのひとこと
まさにオゾン業界の志士とも言うべき中室先生へのインタビューです。
中室先生とは日本医療・環境オゾン研究会の頃から10年以上にわたりお付き合いさせていただいております。お会いした当初から大変お元気な方でしたが、今でも変わらないどころか益々元気になられている印象です。オゾンを普及させるために日夜ご尽力されていますが、それが若さの源ではないでしょうか。
当社も良い形でのオゾンの普及を促進するために頑張っていきたいと思います。これからも叱咤激励のほどよろしくお願いいたします。
(インタビュー内容は取材当時のものです。所属、業務内容などは現在では変更となっている場合があります。)
(2021年3月16日:記事のタグを追加・整理しました。)
(2020年10月1日:オゾン上級者向けマークを記事に付与しました。)