【インタビュー】中室克彦 先生(摂南大学名誉教授)——自社の宣伝より、オゾンの正しい情報の発信を願います

皆様お元気ですか、エコデザインの長倉正弥です。

今回は、摂南大学の名誉教授である中室克彦先生のインタビューをお届けします!

(インタビュー日:2020年2月11日)

 

中室克彦先生のご紹介

中室克彦先生

中室先生は、国立衛生試験所摂南大学環境衛生学環境毒性学を研究されてきた方です。2020年現在では摂南大学を退職されており、肩書は名誉教授となっています。

現在は、適切なオゾン利用の普及に努めるための研究・研修組織である「日本医療・環境オゾン学会」の事務局長を務めていらっしゃいます。

 

中室先生には日ごろから同学会の「環境応用部会/オゾン水研究会」など多くの場面でお世話になっており、今回インタビューをお願いいたしました。それでは、インタビューをご覧ください!

 

心のふるさとは奈良

それではまず経歴からお聞かせいただければと思うんですけれども。先生のご出身は?

長倉正弥

中室先生
出身は本籍が奈良市の富雄(とみお)なんですが、生まれは三重県の桑名(くわな)で、15歳までは桑名市で過ごしました。両親とも奈良県出身です。父親が近畿日本鉄道勤務で名古屋営業局の電気の技術部門に大阪から転勤し、桑名に20年近く住んでいました。その頃(昭和19年)に私が生まれました。
 
父親の話になりますが、私の中学校3年の昭和34年9月に伊勢湾台風が伊勢湾沿岸地域に大きな惨禍を招き、行方不明者を含む犠牲者5,000人余を出しました。その時、近鉄名古屋線がズタズタに寸断されたわけです。父は、その当時狭軌であった名古屋線を、この大災害からの復旧とあわせて軌間拡幅工事を同時に行いました。
それを指揮していた父親は1か月以上家に帰ってこない形で、軌間拡幅工事を完了させました。長かった名古屋勤務は次の年の春には、大阪勤務となり、難工事の成果が認められ近鉄観光の社長や、奈良交通などの社長などを歴任して72歳で退職しました。この当時の近鉄では、技術畑の人間が社長職を務めること自体が珍しかったようです。
 
話は戻りますが、両親共に奈良だから、どっちかというと家族の中では関西弁で話していたため、奈良に関しては生まれて育ったわけではないけれど、親しみがあります。親戚も殆どが奈良に在住しており、新年はほとんど奈良で過ごすことが多かったため、心のふるさとは奈良だと思っています。また、十何年来、趣味で毎年賀状には奈良の仏像とか、神社・仏閣、景色などの版画を彫っています。心のふるさとである奈良に限定しています。
三重で生まれ育ってもアイデンティティは奈良ということですね。

長倉正弥

 

薬学部を出たけど環境衛生学・環境毒性学の道へ

では学問の分野ではどのようなご経歴でしょうか。

長倉正弥

中室先生
大学は岐阜薬科大学です。昭和42年に卒業しました。それからマスター(修士課程)に2年行っています。だから44年修士課程修了ということになります。
 
これからの話は後に全て影響するんですが、薬学部を出て薬の研究はしてません。知識としては使っています。しかし、大学で所属した研究室は環境衛生学研究室です。これを皮切りに最初から最後まで環境衛生に関わっています。多分薬学部では、このような人間はほかにいないと思います。
 
環境衛生学の恩師が小瀬(洋喜)先生です。そこで博士課程まで行くつもりだったのですが、当時東京世田谷の用賀(ようが)にあった国立衛生試験所の佐谷戸(安好)先生からお誘いがあったのです。
その佐谷戸先生が、そこの環境衛生化学部の水業務の室長だったのですが、小瀬先生と佐谷戸先生は、学問上での付き合いがあり、各種委員会でしょっちゅう会っている仲だったので、誰かいないかという話になり、私の名前が挙がったようです。
小瀬先生とは
小瀬 洋喜(おせ・ようき):薬学博士。岐阜薬科大学名誉教授。岐阜県水質審議会委員、科学技術庁調査委員などを歴任。
佐谷戸先生とは
佐谷戸 安好(さやと・やすよし):薬学博士。国立衛生試験所環境衛生化学部 室長を務めた後、摂南大学薬学部 教授を経て、第6代摂南大学学長(1993年~1997年)。
国立衛生試験所とは
国立衛生試験所:現在の国立医薬品食品衛生研究所。略称NIHS。厚生労働省所管の医薬品・食品ならびに化学物質の研究機関。

NIHSの佐谷戸先生から“一本釣り”され、社会人ドクターに

中室先生
普通、公務員試験の合格者が行く国立の研究機関ですが、最近でもドクター(博士課程修了者)の一本釣りというものがあるようです。この専門分野の研究はこの人以外にいないという人が該当します。
 
50年以上前の当時では、私はマスター(修士課程修了者)だったのですが、結果として一本釣りされた形になりました。さらにドクター(博士課程)に進むことを決めていたため、ドクターを取らせてくれるなら行きますと答えたそうです。そういうやつのほうが良いと言って取ってもらったんです。
 
そのような経緯で、結果的には、ドクターのテーマ「環境毒性学的研究」を働きながら研究し、7年目にやっと自分の母校でドクターを取ることができました。持ち込み論文の形で、甲ではなくて乙(※1)のほうです。

(※1)甲は、大学院の博士課程を修了したことで取得される博士の種別。乙は、論文で取得する博士の種別。

仕事をしながら取ったんですね。

長倉正弥

中室先生
社会人ドクターです。社会人としてその職場でドクターの研究を行ったわけです。環境毒性学的研究です。具体的には、レアメタルの一種のセレンに関する研究で、業務である水道水の安全性評価のための基礎研究として「セレン酸ナトリウムの環境毒性学的研究」を仕事として行ったわけです。
確かに、実務の中で学んだほうが良いかもしれないですね。

長倉正弥

中室先生
そういうことです。それを承知で採用してくれて、本人のことを考えてくれたから、佐谷戸先生は東京での第2の恩師になるわけです。
通常、社会人でドクターを取ろうとすると、ドクターを取るためだけの研究テーマであるため、その研究は職場には反映されない。だから、お前は自分勝手なことやってると、社会的には言われるわけです。私の場合は、そうではなくて、恩師である上司が、仕事をしている職場の職務の中からテーマを選ぼうとしてくれたから、このような結果につながったわけです。
なるほど、じゃあある意味、一挙両得というか、一石二鳥ですね。

長倉正弥

中室先生
どんどんペーパー(論文)を書いて投稿すれば、勤務している国立衛生試験所の仕事にもなるし、水道水の安全性の業務の一環として基礎研究となり、最終的にこの研究は我が国のセレンの水道水質基準の基礎情報として役立つことになりました。そのころ研究論文を投稿し、また学会発表をする若手研究者がほとんどいなかったので、私がドクターを取ったことで、若手研究者に刺激を与えたようです。

人がやらないことをすることが大切

中室先生
私は7年の歳月をかけて博士号を取ったわけですが、この職場では一番短い期間でドクターを取ったといわれました。今までこのようなことをやった人はいなかったようです。そのため、このような経験を通じてつくづく感じたことは、やはり人がやらないことをやらなければだめだということでした。今でもそう思っています。
まあニッチを攻めるというのか。

長倉正弥

中室先生
まあ人生、ニッチというか、人のやらないことをすることが重要です。ニッチはニッチのままで終わるケースがあります。ニッチが将来的に化けることも考えられます。
最初からニッチのつもりで生きてはいないと思います。理想は高くということ、私の大学の恩師である小瀬先生がよく言った言葉があります。「希望は高く専門は深く」の言葉がニッチに繋がったようです。
 
それで、国立衛生試験所の上司であった佐谷戸先生は研究のテーマを決め、指導してくださいました。論文の書き方から、研究計画のノウハウまで教わりました。周りの先生も良い先生が多かったです。

水道の安全・安心のための研究

中室先生
佐谷戸先生は東大系の先生で、そのころその東京大学の衛生系の大御所の大先生である浮田(忠之進)先生がいて、その先生が厚生省の研究班のプロジェクトチームの研究代表者となり多くの研究を行いました。
それらの研究は水道の安全性確保に必要な研究テーマを行いました。当然これらの研究班には私の研究室スタッフはもちろん、薬系大学の先生含めて委員会あるいは研究班を組織した形で研究が行われていました。
浮田先生とは
浮田 忠之進(うきた・ちゅうのしん):薬学博士。東京大学薬学部 教授を経て、同学部 学部長。第20代(公社)日本生化学会会長(1971年)。
中室先生
当時、私と同じ歳の同僚の技官がもう一人いました。上司は、その同僚と良い意味で競わせながら、上手に仕事を振り分けてくれていて、二人とも一生懸命夜遅くまで研究(仕事)に没頭していました。若い頃のことが思い出されます。
佐谷戸先生はマネジメントも上手だったんですね。

長倉正弥

中室先生
部下の若い2人を性格もよく把握し、まさに適材適所を考え仕事の分担を上手く分けてくれていました。同僚も同じようにカドミウムの環境毒性学的研究でドクター論文の研究をやっていて、同じように薬学博士を取りました。

数奇な巡り合わせでアメリカ留学がパーに

中室先生
話は変わりますが、昭和58年にタイに行ったというプロフィールがありますよね。
はい、ありますね、一年間。

長倉正弥

中室先生
本当はその当時創設された環境庁の国環研((国研)国立環境研究所)の技術者が行くはずだったのですが、国環研が設立されて1・2年目で、タイの環境庁に送りこむ人材がいなくて、水道水の安全性の研究をやっているから君が行ってこいって言われたんです。
 
行ってこいはいいんですが、この頃私は、ドクターを取ったあとぐらいで、私は自分で探したアメリカのイリノイ大学にポスドク(博士研究員)で年間契約2,000ドルの契約で留学を決めていたのです。しかし、それが国(当時の厚生省)の命令でタイに行かざるを得なくなり、アメリカ留学はパーになりました
国環研とは
(国研)国立環境研究所:略称はNIES。環境問題の解決に向けた研究を行う国立研究開発法人。
そうなんですね。じゃあもしそこでタイの話がないままアメリカ留学ができていたら、給与もでていたんですね。

長倉正弥

中室先生
そうです。一般にいうポスドクという形で1年間の契約です。日本人のポスドクは皆よく働き、熱心ということで、アメリカでは日本贔屓の先生は、日本人を多くポスドクで受け入れるといわれています。一生懸命に研究する人が多いので、年棒以上の成果あげるから、日本人は大切にされました。
中室先生のプロフィール

摂南大学に薬学部が認可された!

それでその後、昭和59年の10月に摂南大学助教授になられていますね。

長倉正弥

中室先生
そうです。先ほど話に出た佐谷戸先生とともに、環境衛生学研究室に教授・助教授として移りました。
そうなんですね。国立衛生試験所から移られたんですね。

長倉正弥

中室先生
薬系の摂南大学に薬学部が10年ぶりに認可が下りたのです。もう薬学部は作らないという方針だったはずですが、久しぶりにでき、新設薬学部の1期生が入学した年から赴任することになりました。そのため薬学部には最初からいるので、摂南大学には約30年はお世話になり、お陰様で70歳まで務めさせていただきました。
私の父(長倉正昭)も確か27年三菱にいました。ちょうど先生と年も同じですし、伊勢湾台風も経験してますし、ちょっと重なる部分が多いかなーと思います。

長倉正弥

中室先生
そうですね。それで話は戻りますが、さっき話したように大学院時代は環境衛生学研究室、その後、勤務した国立衛生試験所では環境衛生化学部に所属しました。また、(摂南)大学へ移っても、環境衛生化学研究室なんです。
だからずーっと環境衛生学の専門分野で生きてきました。一貫して環境衛生学であるので私自身驚いています。しかし、時代の流れには勝てず、薬学を終える約5年前に公衆衛生学研究室という名前に改名しました。

 

環境衛生学からオゾンの世界へ

きっかけは水道浄水プロセスへのオゾン処理の導入

オゾンに関わられ始めたのはいつぐらいなんでしょう?

長倉正弥

中室先生
トリハロメタンの名称はご存じですよね。トリハロメタンや富栄養化が社会問題になった頃に、水道の浄水プロセスに異臭味除去のためにオゾン処理が導入されたころからです。関東で最初に、千葉県の柏井浄水場にオゾン処理が導入されたころに、私は、まだ東京にいました。オゾンとの接点は、この水道へのオゾン処理の導入がきっかけです。
富栄養化とは
富栄養化(ふえいようか):人間の活動によって湖・沼・海などへ廃水由来の窒素やリンが流入することで、植物プランクトンが異常に増殖し、水質が悪化すること。アオコや赤潮の原因となる。
それはいつくらいでしょう?

長倉正弥

中室先生
国立衛生試験所に勤務し出して5年経ったか経たないかの頃です。
そうすると昭和50年代くらいですかね。

長倉正弥

中室先生
その頃だと思います。千葉県の柏井浄水場にオゾン処理が導入されたあと、トリハロメタン問題が起こってるので、トリハロメタン問題よりも前ですね。
富栄養化が社会問題化しワーワー言われて、アオコに由来する異臭味が発生し、水道水の異臭味問題が全国で取りざたされました。この異臭味の対策のため、オゾン処理が導入されました。その当時はじめてオゾンと接点を持ちました。だから今の日本医療・環境オゾン学会とはちょっと異なり、元々は水道分野との関わりが強いです。
 
この当時、水道のオゾン処理に関連する関連企業が中心となって立ち上げた日本オゾン協会がその流れを踏襲しています(※2)。そのため、オゾン療法が存在することすら知りませんでした。

(※2)編注:(特非)日本オゾン協会は、日本医療・環境オゾン学会とは別組織で、いずれもオゾンの業界団体です。

オゾン療法との出会い

中室先生
オゾン療法との接点は、(摂南)大学に移ってからです。今年、日本医療・環境オゾン学会が設立25周年ですね。25年前に、よくオゾン療法の話にでてくる、今年特別講演で招聘予定のレナーテ・ヒーバン・ヘンスラー博士(Dr. Renate Viebahn-Hänsler)という人と関連があります。
 
すなわち、大阪に、近畿大学医学部出身の会員医師の松波先生がいて、その人が中心になって、北海道の神力(就子)先生とレナーテ博士の3人で、大阪のホテルでオゾン療法の講演会を開催しました。
その講演会の後、松波先生のクリニックで、オゾン療法の実技講習会を開きました。その時私は、有料の講演会には出席せず、実技講習会に無料で参加し、初めて実技経験したのがオゾン療法との接点です。
神力先生とは
神力 就子(しんりき・なりこ):薬学博士。北海道工業開発試験所(当時、通商産業省工業技術院所管)出身。専門はバイオハザード防御。現在、有限会社オゾノサン・ジャパン 代表取締役。
ちょっとですね、(インタビューに同行したJNKの)岡本さんがオゾン療法のことをおそらくご存じないと思うので、少しだけ説明させていただきたいです。
オゾン療法は、オゾンがまず前提にあります。オゾンが間接的に人体に対していろんな作用があって、その中でもドイツにおいて主として用いられているのが自家血液療法で、大量自家血液オゾン療法と言っています。静脈血を100 mL程度採血し、そこにオゾンガスを加えると、オゾンは反応して瞬時に消失します。この時、オゾンと血液が反応して微量の反応生成物が生成されています。この反応生成物を含む静脈血を、採血した同じ静脈に戻します。それが平たく言うと免疫機能を改善するような作用を結果として示すことが研究されています。キューバとかドイツなどの国でかなり普及しているそうです。日本も戦前に、すでにやられていたことが知られています。

長倉正弥

オゾン療法について
日本医療・環境オゾン学会が学会内の臨床研究部会や獣医部会において研究を進めている「オゾン療法」は、他の組織によるいわゆる「血液クレンジング」とは一切関係がありません。学会では、「血液クレンジング」という不適切な名称を用いることや、誤解を与える文言・曖昧な表現を否定・禁止しています。また、学会では症例研究を基に、統計的な有効性を検証した上でのEvidence-Based Medicine(EBM)の達成を重視し、国民皆保険制度への保険収載を目指して研究と治験を重ねています。
 
詳しくは声明「いわゆる『血液クレンジング騒動』に対する当学会の考えを表明」(2020年1月24日)ならびに学会会則の「オゾン療法を実施するに当たっての細則」(2020年4月19日施行)をご参照ください。
日本医療・環境オゾン学会へのお問い合わせ先はこちらです
 
日本医療・環境オゾン学会
http://www.js-mhu-ozone.com/
中室先生
日本の場合は、皮下注射によるオゾン療法がおこなわれていました。
それは日本も戦前に医療物資とかがかなり欠如した状態で、特に戦争中の兵士の創傷治癒を目的として皮下注射などのオゾン療法が実際行われていたということですね。

長倉正弥

なるほど。ご説明ありがとうございます。

JNK 岡本

オゾンが肺への悪影響(吸入毒性)が強いのはなぜか

それで、戦後日本において大量自家血液オゾン療法が始まったのが25年前頃になるということですか。

長倉正弥

中室先生
最も重要なことがあるのでちょっと追加させていただきます。
一番大事なところは、オゾンは化学物質です。全てそうですが、化学物質の量が問題です。過ぎると毒性が現れ、超微量であれば有効作用があるという物質が多いです。
 
オゾンも量が増えると毒性が発現します。特に、ガスの場合は、肺への影響が強いということはすでに分かっています。それは、酸化力があるだけではなくて、肺の細胞にはオゾンを壊すカタラーゼなどの抗酸化酵素が少ないことが分かっているからです。だから肺の細胞はオゾンに対して感受性が高いわけです。
そのためオゾンの毒性は特に吸入毒性に注意を払う必要があります。
 
オゾンも化学物質ですから量が多くなると吸入毒性が問題になりますが、毒性を発現しない超微量においては(後述のように)治療効果を発揮すると学会では考えているのです。

オゾン療法の作用機序として現在考えられていること

中室先生
オゾン療法の作用機序をもう少し詳細に話しましょう。
静脈血にオゾンを混ぜると血液中の抗酸化成分(還元性物質)であるグルタチオン、システイン、アスコルビン酸などと反応し、オゾンは瞬時に消失します。
だから、オゾン療法で治療効果を発揮するのはオゾンではなくオゾン反応生成物であるセカンドメッセンジャーというものです
 
このセカンドメッセンジャーが全身の細胞に行き渡り、有効な生理作用を示します。最初に分かった有効作用は、免疫系のサイトカイン類が生成されていることでした。それ以外にも抗酸化酵素系であるカタラーゼ、SOD(スーパーオキシドジスムターゼ)やグルタチオンペルオキシダーゼなどが産生するということです。
 
これらの研究は試験管内(in vitro)で行われたものです。ところが、最近の研究において、大量自家血液オゾン療法において、in vitroで産生するこれらサイトカインや抗酸化酵素の量が、体内に戻すと1/46に希釈されるのですが(※3)、1日後には元のレベルに戻っていたとの報告があります。これは三浦(敏明)先生の『オゾン療法の作用機序』(※4)の総説に詳細に示されています。

(※3)オゾンと反応させた血液100 mLが体内の血液4.6 Lで希釈されたことになるので、1/46希釈。
(※4)三浦敏明. オゾン療法の作用機序. 特集 オゾンに関する最新技術, 静電気学会誌. 一般社団法人静電気学会, (2019), 43 (4), pp. 146-151. http://www.iesj.org/publications/1/#_43

三浦先生とは
三浦 敏明(みうら・としあき):薬学博士。北海道大学医療技術短期大学部 教授、北海道大学薬学研究院 教授を経て、同大学名誉教授。
ちょっとよくわからなかったんですけど、46倍に希釈されると言うのはどういうことですか?

長倉正弥

中室先生
in vitroで生成された微量のサイトカインなどが体内に戻されて4.6Lの血液で46倍希釈されます。しかし、それが刺激を与えてどんどん体内でサイトカインなどを増やしてくれてるんですよ。
全身の血液中においては、例えばオゾン化された時のレベルと同じくらいにまでサイトカインが引き上げられるということですね。

長倉正弥

中室先生
そういうことです。刺激を与えて、イニシエーターとなるセカンドメッセンジャーが入ると、それがどんどん同じシグナル伝達経路に働いて、サイトカインなどを増やしてくれるわけです。結果として46倍にこれらが増えるから、全体で同じ濃度になるということです。
なるほど、周りの細胞が刺激を受けて同じように活性化していくというようなことが起こるということですね。

長倉正弥

中室先生
そう、そういうことです。そこにはシグナル伝達を司るNFκBやNrf2のタンパク質があり、オゾン処理によって生成したセカンドメッセンジャーがこれらタンパク質のレセプターに結合し、サイトカインや抗酸化酵素を誘導するメカニズムがあり、全身の細胞が活性化されるようです。

他の投与方法もメカニズムは同じ

中室先生
また、もう一つは皮下注射、注腸法など種々の投与方法がありますが、最終的には作用メカニズムは一緒だということがわかってきています。これも非常に重要な事実です。
 
日本は、戦前はオゾン療法を皮下注射法で行っていました。この当時、相前後してヨーロッパにおいて大量自家血液オゾン療法が始められました。
日本も今は大量自家血液オゾン療法がメインです。だから皮下注射法がダメではなくて、皮下注射法は特に局所的な疾病に有効です。もちろん、皮下注射法でも大量自家血液オゾン療法と同様の効果が結構得られます。あと幼児、子供や高齢者に対しては注腸法もあります。注腸法は、おしりからガスを浣腸みたいに入れる方法です。
 
こういった種々の事項について、学会では研究をしています。

酸化ストレスと防御系:病気を治すには防御系を高めること

ここでちょっと私なりの理解を申し上げてみます。
「オゾンは活性酸素の一種なんですね。活性酸素は有害なもので、人体に発がんだとか老化を導くものだといわれてるんですが、それにもかかわらず、人体にオゾンを入れると、なぜ免疫力が高まるような作用があるのかと。
それは、結局人体の中で活性酸素種というのが実は毎日ものすごい量できてるんですね。それを人間が抗酸化作用というもので打ち消しているわけです。その活性酸素の量は実は、大量自家血液オゾン療法で入れる量よりも桁違いに多いんです。だから体内でできる活性酸素の量に比べると本当にわずかな量のオゾンを入れることになります。
そのごく微量のオゾンがなぜその抗酸化作用をもたらすかというと、酸化というのは人体、動物にとって大敵なんです。それが一時的にでも酸化された血が入ってくることによって、体がそれに対する抵抗を示そうとするんです。そのためむしろ抗酸化作用が高まるんです。抵抗しようとして…」
…こういう表現で合ってるでしょうか?

長倉正弥

中室先生
病気との関係においては、それだとちょっとニュアンスが違うと思います。
 
人の万病のもとは酸化ストレスだといわれています。現在の科学では、オゾン療法をやらなくてももともと人間というのは治す力、健康を保つ力というものを持ってるわけです。
酸化ストレスと健康とのバランスの関係は、活性酸素がたくさんできていてもたくさん壊していれば平衡状態を保つことができ、健康状態を維持することができるわけです。生成した活性酸素を壊す力が勝っている場合は健康であって、壊す力が弱くなり破綻をきたした状態が病気を発症することになります。
 
病気になった時は酸化ストレスが過剰になるわけですから、この酸化ストレスを減少させれば病気を治すことになると考えます。酸化ストレスの量とこれを減少させる防御系を高め、バランスを良くする。すなわち、防御系を高めることによって平衡にすることができれば病気が治るわけです。だから、酸化ストレスと防御系がバランスよく平衡状態を維持している状態が健康な状態なんです。
なるほど、酸化と還元のバランスが取れているということで、酸化のほうが打ち勝ってしまったときに病気になってしまうということですね。

長倉正弥

中室先生
そうです。酸化が勝ると体の弱いところに、病気が現れることになります。このような概念のほうが理解しやすいですね。
わかりました。

長倉正弥

 

日本医療・環境オゾン学会の発展のために

では、中室先生はそういったことでオゾンに元は水道のほうから関わられて、医療というところに踏み込まれた。

長倉正弥

中室先生
プラスしているだけで、以前の水道分野のことを忘れたわけではありませんから。もともと日本オゾン協会の理事のほうが長いんです。
 
私は、オゾン協会の理事もやってるし、こっち(日本医療・環境オゾン学会)も発足時の発起人ではないけれども、2、3年してから入会しました。神力就子氏も当時、日本オゾン協会の理事で一緒に学術部会の活動をやっていたから知っているんです。国際オゾン協会のメディカルセッションを一緒にやったこともあるし。
 
補完の意味でお話ししますと、日本オゾン協会は理工系の会長だったから、メディカルは、やらないと宣言してしまいました。だから日本医療・環境オゾン学会の前身である日本医療オゾン研究会が生まれたわけです。神力氏が中心となり、発起人を募ってオゾン療法を中心としたグループを立ち上げましょうということで、スタートしたんです。
しかし、しばらくして本研究会は、環境系企業の力を借りないと会の運営がうまくいかなくなり、環境の名前を入れ日本医療・環境オゾン研究会に改名されたわけです(※5)。

(※5)後に更に改称し、現在は「日本医療・環境オゾン学会」となっている。

医療だけだと企業は確かに入りづらいですからね。なるほど。

長倉正弥

国際オゾン協会とは
国際オゾン協会(International Ozone Association):オゾンや各種のラジカルに関する情報取集・研究と普及を目指して活動している非営利団体。略称IOA。編集部はシンシナティにあり、アメリカ支部はラスベガスに、ヨーロッパ・アフリカ・アジア・オーストラレーシアを統括する支部はパリにある。日本支部は日本オゾン協会内に設置されている。

オゾン業界における日本医療・環境オゾン学会の意義

中室先生
ところで、環境分野においては環境オゾンの殺菌とか消臭がメインで動けるから、そのような視点からもオゾンの普及に努めようというのは、私の立場からはより思うわけです。そのため日本医療・環境オゾン学会はある意味バランスよく医師、獣医師、歯科医師、薬学、それと企業などの専門分野に別れています。
 
私は会員企業が土台になっていると思います。オゾン発生器がないとなんにも仕事ができないでしょう。オゾン発生器の利用・普及も大事なんですよ。その上に立って、適用・応用のほうで頑張りましょう。そのため、各専門分野から成り立っている各部会同士がよくコミュニケーションを取って、“One Team”となって協力していかないと発展しないと思います。
岡本さんに補足をいたしますと、オゾンの分野には、業界団体として日本オゾン協会日本医療・環境オゾン学会という二つの団体が存在しています。
もともと私も日本オゾン協会しか知らなかったし、そちらへ先に入会させてもらいました。日本オゾン協会は水道の関係から、水処理関連を中心とした協会なんですね。

長倉正弥

なるほど。

JNK 岡本

ただ、やっぱり水処理以外の分野においてもオゾンをいろんな形で使いたいという気持ちがあったわけです。そういうところに、日本医療・環境オゾン研究会はオゾンのもつ可能性のいろんな面を追求していることを知り、我々にとってそのほうが面白いということで、うちの会社が入会しました。
ちょうど入会した時、中室先生が会長だったんですよね。

長倉正弥

中室先生
そうです。私は、その頃会長を4年務めました。
 
ところで、日本医療・環境オゾン学会のホームページを見れば、オゾンに関する環境分野はもちろん医療分野の情報に到るまで、オゾンの歴史から、リーフレットに到るまで掲載し、オープンにしています。事務局にもよく質問が来ますが、ホームページを見ればほとんど解決すると思うのですが、学会ホームページを見ていないということが分かる質問にはがっかりさせられます。
これは私自身も中室先生には色々教えていただいているので耳が痛いです。
先日もお客さんからノロウイルスの不活化効果について聞かれたので、確か中室先生が研究していたなと思ってお聞きしたら、そのものずばりの論文を頂きました。大変お世話になりました。

長倉正弥

中室先生
最新情報までホームページでオープンにすると、学会会員でいる価値がなくなるから、10年分くらい過去の情報をオープンにしています。学会設立25年になるので、もう少しオープンにしようと思っているのですが。過去15年分くらいまで増やそうとは考えています。
日本医療・環境オゾン学会の将来を考えます

日本医療・環境オゾン学会の将来

中室先生
ただ、このようなホームページの更新作業もだれかにやってもらう必要があります。お金がなくて人手もないため、協力していただくと一番助かります。将来的には、例えば、エコデザインの中に、うちの学会の本部を無料で間借りさせていただくといいですね?(笑)
このような発想があってもいいと思っています。学会本部はどこにあってもいいと思っています。オゾンの普及を主体に考えていただければ最高です。
 
事業は事業でやっていただき、学会活動は別枠で考え干渉し合わない間柄であれば良いと思います。その企業のエゴが出ないことがもちろん前提です。それさえわきまえていただければ、学会事務局は何所に置いても良いと思います。
それはすごい面白い話ですね。

長倉正弥

中室先生
そんな発想をしないとこれからの学会活動は継続していけないと思います。
弊社も工場の移転を計画していまして、その中でもできる限り地域に開かれた工場をやりたいといっています。それもまたエコフレンドリーな、エコファクトリーと言っていますね。人と環境にやさしい工場を目指したいということで、つい先日には地元の活力がある方に集まっていただいて意見を出していただきました。
その中でできる限り世の中のお役に立てる会社になっていきたいなと思いますので、企業としてそれこそ公共的な組織とどういうバランスを持って携わるかというのは微妙な問題だと思うのですが、いい形で当社もオゾンの普及のために努めていきたいなと思っておりますので、いい形でお付き合いできればと思います。

長倉正弥

中室先生
地域発信から日本全国への発信をやっていただければいいですね。
そういう意味で、今回ブログでインタビューさせていただくというのも、うちの会社が勿論製品で社会に貢献していきたいというのが一番ベースではあると思いますが、それだけに留まらずに情報の発信で役立ちたいという観点からスタートしています。

長倉正弥

中室先生
結構オゾンも、分かっていそうで、よくよく話すと、実は誤解とか理解度の違いがあり、相通じない部分を作っている可能性もあると思っています。正しい情報を発信することが大事だと改めて思います

 

これからのオゾン活用の普及に関する思い

それでは最後に、中室先生のオゾンの普及に関する思いと言いますか、今後どういうビジョンを持たれているか、その辺を教えていただきたいです。

長倉正弥

中室先生
普及というのは大事なことだと思いますが、一番時間がかかることであり、私の生き方はそれも含めて言わせていただきます。
 
オゾンの利活用の普及には時間がかかると思います。地道にやるしかない。よくブレイクという言葉が使われますが、ブレイクすることは悪くはないけれど、ブレイクした後は必ず落ちるということなんです。上がって落ちるそういう現象がブレイク現象だと思います。それでは意味がない訳です。

オゾンがこれからすぐに日の目を見ることはない

中室先生
例えばオゾンが世の半分くらいの人に普及したとして、いっきに半分の人がオゾンを本当に理解しているかというと、それはあり得ないということ。ということは、少しずつオゾンの利活用を高めるしかない。これの連続だと思います。
 
だから私の生きている間は、オゾンは日の目を見ないだろうと思っています。日常生活をしている身の回りにオゾン製品が当たり前のように使われる世界はこないということです。けれども、一歩一歩普及に努力し続けることが一番大事です。

オゾン活用の普及のために必要なこと

中室先生
オゾンは殺菌剤の中で、酸化効果を利用する化学的な殺菌剤に分類されます。有機系ではなく、酸化力に基づく殺菌剤というものは限られたものしかありません。そのなかでも競争があるわけです。
 
この世界は塩素至上主義なわけです。ある意味。法律で塩素の基準が決められていて何十年間と変えようともしません。オゾンには良いところがあるのでもっともっと導入に向けてトライしてくれてもいいと思いますが、行政がトライをしようとしないのが現状です。行政は、2、3年に一度ポジションが変わる理由の一つに、悪いことしないようにというのがベースにあります。そのため、反対に、改革などいいこともできないわけです。2、3年で政策を改革実行できないでしょう。このような行政システムが日本をダメにしてるんじゃないかと思っています。
私も正直それはローカルな町役場のレベルですごくそう感じますね。専門家が育たないと思います。

長倉正弥

中室先生
結局は、行政政策が引き継がれていないんですよね。
プロフェッショナルが育たないじゃないですか。それってすごく悲しいです。

長倉正弥

中室先生
そうはいっても、職人と呼ばれる人で、歴史的文化的活動に対して無形文化財で保護されており、それを保持する職人さんが日本にはいっぱいいるわけです。見方を変えれば、このような世界を日本は育んできたわけです。
オゾンもこのような職人技みたいなものがあってもいいし、それを引き継ぐ必要があるだろうし、会社はそれをやらないと伸びないと思います。オゾン発生器の応用の世界は、サイエンティフィックな面から十分時間をかけてじっくりやれば、多方面への応用・開発の成果があがってくると思います。何十年先には前よりも2倍、3倍のシェアが広がるでしょう。努力は惜しまずにやる必要があります。
 
学会は、オゾンの利活用の普及を図るための会員に対する援助と、ユーザーに対してオゾンを正しく理解してもらうための情宣活動も重要だと考えています。
わかりました。

長倉正弥

情報発信の重要性

日本医療・環境オゾン学会の学会誌
中室先生
オゾンに関しては、具体的に何をどうするということは、それぞれについて絶え間ない努力というか、情報発信をするしかないと思います。例えば本学会の学会誌も通巻100号が発刊され、今日持参したこの号は、通巻101号です。表紙月の学会誌になってから20号ぐらい発刊し、5年になりますね。
 
通巻100号記念号では、今まで出版したオゾンに関する学術的な総説、研究報告、解説、文献抄録などをピックアップしたタイトルコンテントの形で掲載しています。それを見ていただくだけでも、必要なものがすぐわかります。ご利用ください。
学会会報について
日本医療・環境オゾン学会の会報は、学会のサイトから購入可能です
情報の宝庫ですね。

長倉正弥

会社の宣伝ありきではなく、オゾンそのものを知ってもらうための活動を

中室先生の基本的なスタンスをお聞きして、やっぱり地道な努力しかないっていうことを感じます。それはすごく地に足がついた、やっぱりそれしかないと思うんですよね。そういうスタンスじゃないとオゾンはしっかりと前に進まない。すごい儲かるみたいなスタンスではないんですね。

長倉正弥

中室先生
学会だから余計そう思うのですが、誤解されると嫌なんだけど、自分のためにやってるんじゃなくて、オゾンのためにやってるんです。オゾンを知って欲しいからやってるだけであって、中室ありきではなく、オゾンありきなんです
 
だから、企業もそういう姿勢でやらないと…、会社ではなくオゾンが前面に出ないと困るんですよ。オゾンが主役ですよ。だからまだまだ知らないことがいっぱいあるはずです。これからもこのような気持ちでいることが重要なことです。自分を殺してオゾンを前面に出すことです。
私は目立ちたがり的なところもあるんで、そういうのって、すごくダメなんですよ。そういう下心が見抜かれるんですよ。世の中そういうものの察知に優れた人がいるんですよね。ピンときちゃうみたいで。お前目立とうと思ってやってんだろって(笑)

長倉正弥

中室先生
確かにね。そういう人が結構多いから。でも、私はあなた(長倉)はそうだとは言ってないからね。もっとすごい人いっぱいいるから(笑)
 
でも、こういうのは生き方そのものだと思います。教育は、どこにいても大事です。
教育の話から飛躍しますが、学会の事務局を継いでくれる人を探しているんですよ。私ももうあとちょっとで終わりですよ。80歳までは頑張るつもりですが、80歳代になったら無理ですよ。80歳以上になると急に亡くなる人が多くなります。
でも中室先生も、私は最初にお会いしたのは10年以上前だと思うんですけれども、変わらないんですよね。

長倉正弥

中室先生
相変わらず同じことを言っておりますので。でもね、岡本さん、個別でわんわん話したいのに、この人(長倉)逃げるんですよ(笑)
都合の良い時だけ会いたいって、寄ってって、逃げてくんですね。

JNK 岡本

中室先生
逃げてくんです。避けるんですよ。なんですかね、この人は(笑)
そんなつもりはないんですけど(笑)

長倉正弥

それはじゃあ記事に書いておかないとですね。

JNK 岡本

中室先生
そうですね、逃げないでくださいって。仲良くしましょうね。
向き合います(笑)
じゃあすいません、こんなところで。今日はどうもありがとうございました。

長倉正弥

中室先生
ありがとうございました。
インタビューに伺ったころはまだ対面でご挨拶ができましたね

 

インタビュアーのひとこと

まさにオゾン業界の志士とも言うべき中室先生へのインタビューです。

中室先生とは日本医療・環境オゾン研究会の頃から10年以上にわたりお付き合いさせていただいております。お会いした当初から大変お元気な方でしたが、今でも変わらないどころか益々元気になられている印象です。オゾンを普及させるために日夜ご尽力されていますが、それが若さの源ではないでしょうか。

当社も良い形でのオゾンの普及を促進するために頑張っていきたいと思います。これからも叱咤激励のほどよろしくお願いいたします。